フライデー副編集長殴打事件


 溝口は1992年7月、写真週刊誌『Friday』に署名記事『追いつめられた“最強軍団”山口組の「壊滅前夜」』(同年7月31日号、講談社刊)を書いた。この年3月暴力団対策法が施行され、同法が山口組に及ぼした影響をリポートしたものだが、これに渡辺芳則五代目組長と山健組が強く反発した。文中では、渡辺組長が五代目就任後に、その妻が新神戸駅近くにオープンしたブティックが「山口組御用達」を営業方針としていること、破門した組員を拾った拾わないなどで山口組内で紛争が頻発し、山健組の横車が押し通っていること、などにも言及した。

 雑誌発売後、警視庁からは「ヒットマン5人が上京して襲撃の機会を窺っている」といち早く溝口に連絡があり、自宅などの警備に入ってくれた。だが、同年8月14日、午前10時過ぎ、山健組系の組員2人が東京・音羽の講談社5階、Friday編集部に入り込み、居合わせた大橋俊夫副編集長の頭や背中を特殊警棒で殴り、頭を7針縫うなど全治1週間の怪我を負わせた。殴打は激しく、特殊警棒は曲がって短縮できなくなった。犯人たちは逃走時、特殊警棒を講談社近くに捨てたが、そこから指紋が検出され、大塚警察署は山健組系関誠会の組員を割り出し、同月19日指名手配した。

 同月24日、手配を受けた関誠会組員と同じく山健組系太成会組員が7月10日付けの「破門状」コピーを持って大塚署に出頭、傷害容疑で逮捕された。2人の組員は前記、溝口の記事に腹を立てたと犯行動機を供述したが、指揮命令系統は自供せず、2人だけが同年12月、ともに懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けた。判決を下した裁判官は「民主主義の根幹である出版・言論の自由を暴力で封じようとする卑劣な犯行」と断じた。