細木数子氏の6億円裁判


 溝口敦は06年5月から8月まで「週刊現代」に14回にわたって「細木数子魔女の履歴書」を連載した。その4回目は「細木数子は暴力団幹部に私の原稿つぶしを依頼した」(06年6月10日号)だった。
 その号に溝口は次のように記している。

 もちろん細木には、連載開始前の4月21日、編集部を通して取材を申し込んでいる。だが、細木側は4月24日、まず細木事務所の職員が「取材拒否」を電 話で回答し、同日、細木の顧問弁護士と名乗る阿部鋼弁護士から、やはり電話で「取材は受けない。ノーコメントと理解してほしい」と編集部へ回答があった。
 まだ記事化もされていない段階である。が、同弁護士は「名誉毀損などの部分があれば、そのときはまた対応する」と早々と牽制球を投げてきた。異例の対応である。
 細木が取材に出て来ないなら、出て来ないでいい。細木リポートを書く上で、細木の直接取材が必須なわけではない。逆に会ったがため、しがらみに絡め取ら れる危険さえ出る。細木が最初は取材を拒否していても、連載を重ねるうち、タヌキのように燻り出されて出て来るだろうと、筆者は呑気に構えて、関係先に取 材を重ねていた。
 取材拒否の回答があった24日、広域暴力団の元最高幹部に取材した。別れ際、筆者は細木の渋谷百軒店時代を知る関係者を紹介してくれるよう、彼に頼んだ。
 翌25日、元最高幹部から電話があった。
「あんたの取材を受けた後、細木に電話した。細木の家が(芸者)置屋みたいなことをしていたのは事実だけど、自分は売春していないと細木は電話で言っていた。ところでどうだろう。今さら細木について書いてもしょうがないじゃないか」
「そうはいきません。それに電話でお話しできる話でもない」
 と筆者は答えた。
「どうしても書くというなら、細木を擁護するように書いてくれないか。その方がお互いのためだ」
 と、最高幹部はいった。
 これで依頼していた当時の渋谷に詳しい関係者を紹介してくれるどころではなくなった。
 この電話を受けた後、筆者は別の広域暴力団の最高幹部に会った。こちらは現役である。前日、最高幹部から電話があり、「会えないか、どこにでも出向く」という話だったが、筆者は「私の方から出向きます」と、この日午後、彼の事務所を訪ねた。
 彼には取材を申し入れていないが、私が細木について書くことは知っている。以前から面識があり、重要な取材源の一人である。誤解を恐れずにいえば、私は彼の人柄を信用している。
 最高幹部は近くの喫茶店に私を誘い出し、その席で言い出した。
「細木の記事をやめられないか。あんたがやめたといえば、それで終わりだろう」
 私は半ば彼の出方を予想していた。
「いや、編集部の企画ですから、私がやめれば、編集部が別のライターを立てるまでです。やめるわけにいきません」
「そうか、やめることはできないか」と、最高幹部はしばし考えていた。
 そのとき背後に控えていた若い人が「細木さんから電話です」と最高幹部に彼の携帯電話を差し出した。
「ええ、やめられないみたいですよ。ええ、ええ」
 と、最高幹部は数分ほど細木とおぼしき人間と受け答えしていた。おそらく細木は最高幹部に連載の中止工作を依頼し、首尾がどうなったか気になって、直接電話してきたのだろう。
 最高幹部は電話を終えて、さり気なく話を再開した。
「あんたがやめないというのなら、仕方がない。彼女は悪い女じゃないし、テレビでいいことも言っている。できるだけ柔らかく書いてやってほしいんだが」
 私がうなずいて立ち上がろうとしたとき、最高幹部がしっかり糊付けした封筒を無言で私の背広のポケットに押し込もうとした。かねて用意したものだろう。 私は拒み、「受け取るわけにいきません」と、封筒を彼の手に押し返した。そのとき手触りで札束と分かった。少なくない額だろう。
 彼はいった。
「こんな物を渡したからといって、書かないでくれなんてケチなことを言うつもりはない。細木のことをやさしく見てやってくれというだけ。これはあんたと私の間のことだ。黙っていれば誰にも分からない」
「そうはいきません。編集部に言い訳できない」
「編集部に言う必要なんかないじゃないか」
「人に分からなければいいという問題じゃない。自分がそのときどうだったかという良心の問題です。お宅の親分と同じです」
 たぶんこのセリフが利いたと思う。彼が所属する団体のトップは自分自身に厳しいことで知られるし、最高幹部もトップをいたく尊敬している。
 最高幹部と私はその後10分ほども受け取れ、受け取れないと封筒の押しつけ合いをくり返したが、ついに彼は「あんたも頑固者だな」と手渡すことを諦めてくれた。
 筆者は「贈賄」を断念した彼に感謝し、敵意や害意はいっさい持っていないと明言する。だからこそ団体名も実名もここでは伏せたのだが、広域暴力団の現、 元幹部に連載のストップを依頼した細木に対しては別の感想を持つ。仮にも電波メディアで発言する者が自分に不利益と勝手に予想する記事を、暴力団に依頼し て打ち止めにしようというのだ。
 筆者はこうした直接の体験から、細木数子の暴力団ルートがハンパなものでないことを痛感した。彼女は驚くほど多数の暴力団のトップや幹部と親しく交際 し、電話一本で暴力団を動かそうとする。多少とも事情を伝え聞く者たちが細木に怯えと恐れを抱くのは当然である。>

 細木数子は何を血迷ったか、暴力団からの圧力を伝えた溝口の記事に「そのような事実はない。名誉毀損だ、信用毀損だ」として、実に6億円余の損害賠償を講談社に求める民事訴訟を起こした。記事を書いた張本人である溝口は訴えずにである。
 おそらく細木は溝口を訴えれば、法廷で暴力団からの圧力の有無を詳しく検討することになると「老婆心」ながら考えたのだろう。そうなれば溝口も出廷し、 圧力があった模様を逐一証言する。圧力は溝口に対して加えられた。溝口が直接体験したことだから、溝口の証言がリアリティを持つだろうことは細木にも容易 に察しがつく。
 よって細木にとって溝口は鬼門である。可能なかぎり訴えたくない。だが、かといって、「細木数子は暴力団最高幹部に私の原稿つぶしを依頼した」という記事に知らぬ顔で頬被りしては、細木番組の中止に追い込まれ、テレビ局からも放逐されよう。
 民法は公共の電波を利用して商業放送している。出演タレントがヤクザと関係し、ヤクザに頼んで記事差し止めに動いたと、はっきり証明されれば、いかに厚顔無恥なテレビ局ではあっても、出演タレントをそのまま放置できない。
 細木はテレビ局の手前もあって、溝口の記事に対して何らかの行動に出る必要に迫られた。結果、苦し紛れに細木が考え出した便法は溝口を訴えず、講談社だ けを訴えるという苦肉の策だった。訴えさえすれば、テレビ局に対して言い訳も利くし、芸能誌などにも一応取りつくろえる。
 政治家などがよく使う事実を否定する形づくりのための名誉毀損裁判である。真実はメディアに指摘された通りなのだが、否定しておかないと世論を押さえき れない。裁判が始まったところで、世間が忘れたころにこっそり取り下げれば、審理されることはないと安易に考える。細木もカネに物をいわせ、同じ行動に出 たにちがいない。
 だが、溝口にとっては別である。万一、講談社が細木に敗訴すれば、溝口のライターとしての信用は失墜する。だいたい溝口には当の記事を書いたという執筆 責任がある。細木に訴えられていないとはいえ、細木対講談社の裁判を対岸の火事と見ることはできない立場である。
 よって溝口は裁判に「補助参加」することを決めた。たとえ細木に訴えられていなくても、裁判の帰趨がその者の利害に重大な影響を及ぼすとき、裁判に補助参加することができる。
 06年9月、溝口は弁護士に依頼し、東京地裁民事16部に補助参加の申し出をした。
 と、ここでも細木側は迷走し、なんと溝口の補助参加は認められないと難癖をつけてきた。
 溝口は取材のために裁判に参加する、溝口を補助参加させれば、裁判の内容を書くというのだ。
 裁判は秘密ではない。まして溝口は当事者である。法廷での審理について、それが読者が読むに値することなら、書いて悪い理由はない。細木側はそれとも裁判所という場を借りて、被告側に裏工作でもしようという魂胆なのか。
 憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と記している。裁判を受ける権利は国民の基本権の一つであり、細木側の言い分は最初から無理筋なのだ。
 もちろん溝口は陳述書を書いて、細木側に反論し、代理人の弁護士は(補助参加への)「異議申し立てに対する反論」を書いて、裁判所に提出した。東京地裁は06年12月、溝口の補助参加を認めて、同月から実質的な審理が始まった。
 こうして自ら選んだ途とはいえ、細木は公判廷で暴力団との交際がどうか、暴力団最高幹部にどう依頼して「週刊現代」の連載に圧力をかけたか、真っ正面から事実を突きつけられることになった。

 その後細木側の弁護団は実質的な審理に入らせまいとしてか、ためにする愚問、珍問をぶつけては書面でのやり取りを繰り返させることで実質審理入りを引き延ばした。だが、08年5月、講談社側が細木数子本人、溝口に圧力をかけた山口組の最高幹部、溝口本人、当時の週刊現代編集長・加藤晴之の4人の証人尋問を要求したところ、同年7月14日、これ以上裁判を続ければ細木の暴力団を使っての言論抑圧が公然化されると悟ってか、臆面もなく訴えを取り下げた。細木は訴訟を社会的な目くらましとヤバイ事実の糊塗に使ったのであり、その品性下劣なことは許しがたいレベルにあるが、訴えられ、補助参加した側は原告側の訴えの取り下げを呑む以外に方法がない。細木のなしたことは乱訴であり、訴訟の目的外使用というべきだろう。